Oracle - 御宣託
新ブログ移転先:太郎生雑記 UI。以下、ココログ最後の記事。
血みどろの「300」、観て参りました。
R 指定のおかげか、平日の”六本木の丘劇場”は、空いてました。たぶん、今のところ、日本一の音響設備を誇るシアター群。高音のキレと重低音の響きの良さは、さすが。
物語は、スパルタ兵(というよりアメリカ兵)の「勇気」と奮戦を、克明に描いています。
王の徹底抗戦論に対し、宗教/議会勢力は、これを執拗に退けようとします。
坊主どもは、酩酊した少女を操って、神々しき「オラクル(御宣託)」等で「非戦が神の意思」であることを伝えます。が、彼らは表向き「平和主義的」にみえて、その実、事前にペルシャ帝国の使徒たちに、しっかり買収されている、という筋書き。
史実どおりかどうか知りませんが、「神権政治」の実態とは、概ね、こんなものだったのでしょう。
さて、前回記事、ちょっと舌足らずだったので、補足すると、筆者は、かなり、怒っております。
自前で整理していた書棚を、勝手にかきまわされた気分で、非常に、不愉快です。
サーバサイド管理者、もしくはデータベース従事者が、独断で変更したカテゴリ生成ロジックにより、70分類、400本あまりの記事が、仕分けの根拠を失いました。
もっとも被害が大きいのは「NetBeans」関連の記事で、これらの記事を再整理するのに、相当の時間と労力を必要とします。
ココログには、もともと「人」「本」「音楽」など商業セールスと密接に結びついた自前のカテゴリ整理機能があり、変更処置は、そのロジックに浅く従う範囲内なら”隠蔽化”されます。
しかし、その他の自由な仕分け方法を認めず、ないがしろにし、「うち独自のカテゴリ整理ロジックに従え」というなら、出て行くまでです。
思い上がった”御宣託”に従うのは、まっぴらご免です。